火曜日, 8月 19, 2008
縄文時代に九州で豆類栽培か 土器に痕跡、熊本大調査
九州各地で出土した約3600-3000年前の縄文土器の表面に、栽培種とみられる大豆や小豆の痕跡があることが熊本大の調査で分かった。定説では豆類の栽培は弥生時代以降とされるが、調査した小畑弘己准教授らは「縄文後期には九州地方にマメ科植物の栽培技術があった可能性がある」と指摘している。
縄文期の豆類は、出土例は多いが炭化しており、豆の種類の判別や、野生種か栽培種かの特定は困難だった。そこで、土器の作製過程で粘土に混入したマメ科種子が焼け落ちてできたとみられるくぼみに、シリコーンを流し込んで型を復元し、電子顕微鏡で調べる「レプリカ法」を採用。九州の遺跡から出土した5万点以上の土器片の中から、豆類とみられる痕跡について分析した。
その結果、長崎県の大野原遺跡や熊本県の三万田遺跡から出土した縄文土器計4点に残っていた跡を、豆の「へそ」と呼ばれる部分の形状などから大豆と特定。福岡県の大原D遺跡や鹿児島県の柊原貝塚など10遺跡の土器15点でも、大豆形の跡を確認した。
共同通信
意外に文明が進んでたんだね。
縄文期の豆類は、出土例は多いが炭化しており、豆の種類の判別や、野生種か栽培種かの特定は困難だった。そこで、土器の作製過程で粘土に混入したマメ科種子が焼け落ちてできたとみられるくぼみに、シリコーンを流し込んで型を復元し、電子顕微鏡で調べる「レプリカ法」を採用。九州の遺跡から出土した5万点以上の土器片の中から、豆類とみられる痕跡について分析した。
その結果、長崎県の大野原遺跡や熊本県の三万田遺跡から出土した縄文土器計4点に残っていた跡を、豆の「へそ」と呼ばれる部分の形状などから大豆と特定。福岡県の大原D遺跡や鹿児島県の柊原貝塚など10遺跡の土器15点でも、大豆形の跡を確認した。
共同通信
意外に文明が進んでたんだね。